田村平治氏は、なんともいえない魅力のある人である。楽しくて、とってもいい人なのである。率直で、裏表がなく、誰に対しても自然である。そして、おおらかで温かい。人に好かれ、多くのひいきがいると聞くが、そうだろうと納得がいく。人を引きつけるのだ。

 料理の腕ももちろんだが、その人柄も、今日の成功の元なのだ。実は、「つきぢ田村」の誕生にも、それは関係してる。
しかし、まず、田村平治氏のおいたちから追ってみることにしよう。
 
 
 田村平治氏は、明治38年福井県小浜の魚屋「柴幸」の息子として生まれ、14歳のとき、京都に出て、ちょうど瓢亭を出て「瓢樹」という懐石料理の店を持った西村卯三郎氏のもとで料理人としての修行を始め、21歳までみっちり勤めて、その後、京都、大阪といろいろな店で、ほかの料理を修業し、28歳の時、東京に来て、「藍亭の料理長に迎えられ、ここで12年間にわたって思う存分腕をふるい、その名を知られるようになったのである。
  この藍亭時代の活躍ぶりは、まことに面白い。経営者の信頼を得て、自由に思うがままに新しい試みを実行し、あぶなかった店を2〜3ヶ月で盛りたて、次々と名物料理を作り出し、ついには、”東京一高い料理を売る店”と評判をとる一流店に育て上げる。若き才能ある料理人が、場を得て一気にその力を開花させるさまが見えるようである。
この藍亭での活躍も、戦争の時代を迎えた昭和18年、料理屋の営業停止の政令で、終りをつげる。すばらしい腕の持ち主も、戦争および敗戦の中で、その腕をふるう場がなかった。そんな時代ではなかったのだ。
 
 こんな時代を経て、しだいに商売は軌道にのっていった。やがて、株式会社になったとき、1/3を貰い、残りの2/3を借金して、これを10年で返して、自分の店になったのである。
「私は幸せ者です」と平治氏はよくいう。この「つきぢ田村」誕生のいきさつでも、御ひいきが彼のために家を建て商売を始めさせてくれ、しかも軌道にのったところで、有利な条件で、それを彼にゆずり渡してくれたのだ。たしかに運のいい人だ。しかし、その運を呼び、運を大きく開花させたのは、平治氏その人の人柄と才能および努力であろう。
 50坪の土地に建った小さな家で始まった「つきぢ田村」は、必要に応じて部屋を建て増ししながら、どんどん大きくなっていった。2度ほど買い足して100坪になった敷地もついにはいっぱいいっぱいになってしまい、庭もまったくなくなってしまった。それだけ繁盛したのである。
以前の建物
 
 
 田村平治氏の料理は、何故そんなに人気があるのだろう。どうして繁盛するのだろう。平治氏にたずねてみた。
「お客さんのことだけ考えて、お客さんに合う料理を出しているからでしょう。私は一度だって自分の料理を押しつけたことはない。よくいるでしょ、自分の料理を誇りにして、おれがこさえたうまい料理を食べさせてやるという料理人が・・・。そういうことは絶対にしない。お客さんが喜んでくれるようにと、お客さんの気持ちになって、あれこれ考え、お客さまの言葉だけを頼りに料理をしている。だから、お客さんに出してみて反応がなかったら打ち切る。出しません。反応があった料理、うなづいてくれたもの、喜んでくれたものしか出しません。」
 
 この客至上主義とでもいうべきものが、まず第一のポイントである。そのくり返し、その積み重ねが、人気の秘密なのだ。しかも、日々そのことを第一にしていれば、客層にも、好みの変化にも、問題なく対応していられる。いつも新鮮でいられる。
?そしてもう一つのポイントは、材料の徹底的な活用である。
「私は物を粗末にするのが嫌いなんです。私は、物にはすべて生命があり、その生命は尊いもの、大切にしなければいけないと思うんです。だから、ムダなものなどない、捨てるものなどなにもないはずなんです。すべてを生かして使い切るのが料理人のの勤めです。それができないのは勉強が足りない、料理人の本質が足りない、怠慢ですよ。
適材適所です。一枚の鯛があれば、真中、頭、骨の間の身、皮などいろんなところがある。それをそれぞれ一番いい方法で使う。平等に生かすべきなんだ。生きのよい、いいものなら残らず使える。
ケチくさいという人があるかもしれないが、私が東京へ出てきた頃には、みんな鯛の頭を捨てていたんですよ。今では立派な料理になっちゃって、誰も捨てる人なんかいないけど。
れんこんの皮、うどの皮、ふきのへた、大根の葉、人参やいものつぶれたの、くずれたの、形に切った残りなど、すべて使う。端だ、半端だというのは、そのままでは使えない、出せないというだけで、おいしさに変わりはない。使えるように、出せるように工夫すればよい」
この思想のすごさ、徹底ぶりは、料理場にしばらくいるとよくわかる。そして、それはどんな小さなものでも大切にする気持ちと、それを生かす知恵があって、初めて可能なことだろう。
しかも、この店は客数が多い。仕入れる材料も多い。従って、ちりも積もればの理屈で、少しずつの部分が集めると相当な量になる。だから、この考え方の意義がよくわかるのだ。そして、それがおいしく生まれ変わり、おまけの一品になったり、立派な一品になって使われたりする様を見ると、自分が普段、何気なしに捨てたりしている行為が、罪悪のような気すらしてくる。
この2つのポイント、これは田村平治氏の料理の大きな柱である。
1つ、お客さまを大切に
1つ、材料を大切に
このそれぞれへの深い愛情、深い配慮、そして、その間をつなぐのが料理人の仕事ということだろう。見事な料理哲学ともいえるものだ。
そして、さらに材料について付け加えるならば、
「私のできるのは、おいしいものをおいしくすること。まずいものをおいしくすることはできない。だから最高の材料を仕入れる。また、おいしいものをまずくしてはいけない。”煮殺す”という言葉がありますが、たきすぎたり、味をつけすぎたりして、物を殺してはいけない。」
物を大切には、部分のことだけではない。その持ち味も大切にして、十分生かさなければいけないということだ。
このように、人にも物にも深い愛情を持ち、自分ではなく、相手を対象を生かそうとする。それが田村平治氏をすばらしい料理人にしたのであろう。
 
 
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